ベトナムM&Aレポート ― 第1部 経済概況と注目セクター
2026/08/05
- I-GLOCAL.CO.,LTD ハノイ事務所
- 近藤 秀哉
エグゼクティブサマリー
① ベトナムは2025年の実質GDP成長率が8.02%、一人当たりGDPが初めて5,000米ドルを超えるなど、アジアで最も高成長の経済圏の一つである。約1億人の人口と若い年齢構成、15を超えるFTA網、そして「チャイナ・プラスワン」の潮流を背景に、東南アジア全体のM&Aが低調に推移するなかでも有力な投資先として存在感を高めている。
② 足元でM&Aが最も活発なのは、ヘルスケア、不動産・工業団地、消費財・小売、フィンテック・テクノロジー、製造業・半導体、再生可能エネルギーの各分野である。ベトナムは従来の「低コストの生産拠点」という位置づけを脱し、高付加価値分野へと投資の重心を移しつつある。
③ 市場参入の手法としては、新規設立(グリーンフィールド)より時間を要さないM&Aを選ぶ外国企業が増えている。一方で、大都市の高齢化、中所得国の罠、インフラ不足、労働コストの上昇には留意が必要である。
はじめに
近年、急速な経済成長、若く豊富な労働力、そして拡大する消費市場を背景に、ベトナムを投資先として選ぶ企業が増えている。もっとも、東南アジア(SEA)地域を対象としたM&Aは、足元ではやや低調に推移している。2025年の東南アジア向けクロスボーダーM&Aの純額は110億米ドルで、関税政策や慎重な財政環境を受け、前年(2024年)の120億米ドルからわずかに減少した[1]。その一方で、ベトナムを対象としたM&Aは比較的堅調に推移している。2025年のベトナム向けクロスボーダーM&Aの純額は8億5,400万米ドルで、前年比56%の増加となった[2]。これは、多くの企業が依然としてベトナム市場に魅力を感じ、投資に前向きであることを示している。
本レポートでは、ベトナム経済の現状、足元でM&Aが最も活発なセクター、そしてベトナム企業を買収することの実務上のメリットと留意点を概観する。ベトナムでのM&Aを検討する企業にとって、本レポートが一助となれば幸いである。
[1] UNCTAD “Global Investment Trends Monitor No.50” (January 2026) P13
[2] UNCTAD World Investment Report | UN Trade and Development (UNCTAD) Annex table 05
1. ベトナム経済の概況
ベトナムは現在、アジアで最も高い成長を遂げている経済圏の一つである。2025年の実質GDP成長率は8.02%に達し、2011~2025年の期間では2022年に次ぐ高い伸びとなった。また、製造・加工業は9.97%成長し、過去6年で最高を記録した。名目GDPは約5,140億米ドルに達し、一人当たりGDPは初めて5,000米ドルを超え、5,026米ドルとなった[3]。政府は、大規模なインフラ投資と外資誘致に向けた改革を背景に、2030年まで年10%以上という野心的な成長目標を掲げている。ベトナム共産党第13回全国大会でも、政府は2045年までに高所得の先進国となるという長期目標を掲げた。
こうした著しい成長は、1986年に始まった「ドイモイ(刷新)」政策を基盤としている。ドイモイはベトナムを外国投資に開放し、資本市場の段階的な整備、国際基準に沿った会計制度、そして広範なFTAネットワークの構築につながった。これらは、今日のクロスボーダーM&Aを支える基盤となっている。
政治的な安定性も、外国投資家がしばしば挙げる要因の一つである。ベトナム共産党による一党体制のもと、40年近くにわたり一貫した長期的な政策方針が維持されてきた。
この成長を支えているのは、次の3つの構造的な要因である。
- 「チャイナ・プラスワン」戦略の加速。多国籍メーカーが、単一国に依存したサプライチェーンからの分散を図り、生産能力をベトナムへ移転している。
- 国内消費の急速な拡大。約1億人の人口と、34歳という中位年齢がこれを支えている。
- 広範な自由貿易協定のネットワーク。CPTPP、EVFTA、RCEPを含め、合計15以上のFTAが、貿易と投資を引き続き牽引している。
インフレ率は3.31%と政府の目標範囲内に十分に収まっており、マクロ経済全体の安定を示している。2025年の外国直接投資(認可ベース)は384億米ドルと前年並みで、このうち実行額は276億米ドルに達し、その多くが製造業に向けられた[4]。
重要な点として、ベトナムは従来の「低コストの製造拠点」という位置づけを脱し、半導体、デジタルサービス、ヘルスケアといった高付加価値分野でも積極的に能力を構築しつつある。NVIDIA、Samsung、Google、SpaceXといった世界有数の企業が、ベトナムでの拠点を新設または拡大している。主要な経済指標は下表のとおりである。
出所:ベトナム国家統計局、国連「世界人口推計2024」、IMF世界経済データベースをもとに筆者作成
[3] National Statistics Office of Vietnam (NSO/GSO), “Socio-economic Situation in the Fourth Quarter and 2025” (January 2026). https://www.nso.gov.vn/en/data-and-statistics/2026/01/socio-economic-situation-in-the-fourth-quarter-and-2025/
[4] National Statistics Office of Vietnam (NSO/GSO), “Socio-economic Situation in the Fourth Quarter and 2025” (January 2026). https://www.nso.gov.vn/en/data-and-statistics/2026/01/socio-economic-situation-in-the-fourth-quarter-and-2025/
2.M&Aが活発なセクター
以下のセクターは、2024年から2025年にかけて、ベトナムで案件数・取引金額の両面で最もM&Aが活発だった分野である。
(1) ヘルスケア
ヘルスケアは、2024~2025年に最も活発にM&Aの対象となった分野の一つである。ベトナムでは人口当たりの病床数や専門医の数が依然として低水準にある一方、世帯所得の増加と急速な高齢化を背景に、民間の医療支出が着実に伸びている。主な取引としては、Ares ManagementによるMedlatec Groupの買収(約1億5,000万米ドル)や、KKRによるSaigon Medical Groupへの過半数出資が挙げられる。病院・クリニックのネットワーク、検査・診断、ヘルステック、高齢者介護などのサブセクターが活況を呈している。
(2) 不動産・工業団地
不動産は、2024年のM&A取引総額の約36%を占め、単一セクターとしては最大であった。都市化と中国からの生産移転を背景に、工業団地や物流施設への需要が特に旺盛である。2024年に改正された土地法・住宅法・不動産事業法により、外資系企業による土地使用権へのアクセスが大きく拡大した。主な取引には、BirchによるEastern Real Estateの買収(3億6,500万米ドル)や、CapitaLandによるビンズオン省の住宅団地の買収(約5億5,300万米ドル)がある。
(3) 消費財・小売
1億人を超える人口と急速に拡大する中間層を背景に、消費財・小売は中核的なM&Aの対象となっている。M&A取引総額に占める消費関連セクターの割合は、2024年の16%から2025年第1四半期には21%へと上昇した。一人当たりGDPが5,000米ドルを超え、消費者の関心は「量」から「質」へと移りつつある。主な取引としては、日本のコクヨグループによるThien Long Groupの最大65%の株式取得(約1億7,800万米ドル、2025年12月)や、タイのF&NによるVinamilkへの出資比率の一段の引き上げが挙げられる。
(4) フィンテック・テクノロジー・デジタルサービス
ベトナムでは、クレジットカードの普及率が低く、消費者向け融資も限定的で、保険の加入率も平均を下回っている。これは、金融サービスに長い成長余地があることを意味する。フィンテック(デジタル決済、BNPL、インシュアテック)は、商業銀行に適用される外資出資比率30%の上限の対象外である部分が大きく、より柔軟な参入形態が可能である。日本のみずほ銀行が主導した2億米ドルのシリーズEでは、大手スーパーアプリの企業価値が20億米ドル超と評価され、ベトナムで4社目のユニコーンとなった。フィンテック以外でも、デジタルトランスフォーメーションの取り組みや、若くデジタルに精通した人口を背景に、より広範なデジタルサービス(エドテック、ヘルステック、B2B SaaS)も活発である。その象徴が、ベトナム初のAIファクトリーを構築するNVIDIAとFPTの提携(約2億米ドル)である。
(5) 製造業・半導体
製造・加工業は2025年に9.97%成長し、過去6年で最も速いペースとなった。チャイナ・プラスワンの潮流から、最も直接的な恩恵を受けている分野である。政府の「半導体産業発展戦略」(2024年決定第1018号)は、指定されたハイテクゾーンの事業者に対し、2030年まで税制・土地・輸出入面での優遇措置を提供している。近年の取引には、GS MicroelectronicsによるSinble Technology Vietnamの買収や、SK GroupによるIscvina Manufacturingへの投資がある。
(6) 再生可能エネルギー
再生可能エネルギーの分野も活発化している。その背景には、2050年までのネットゼロ達成というベトナムのコミットメントや、風力・太陽光・蓄電池の目標を大幅に引き上げ、原子力をエネルギーミックスに再導入した「改定版電力開発計画(PDP)VIII」(2025年4月、決定768/QD-TTg)がある。電力直接購入契約(DPPA)に関する新規制(政令57/2025)や、屋根置き太陽光に関する新規制(政令58/2025)により、外国投資家の参入経路が広がった。2025年の主な取引には、SARAによるDam Nai風力プロジェクトの買収(4,000万米ドル)、LevantaによるHBRE Gia Lai Wind Powerの買収(3,310万米ドル)、そしてSumitomoによるCuu Long Power Engineeringを通じた水力発電事業への参入がある。
3.ベトナム企業を買収するメリット
市場参入の手法として、グリーンフィールド投資(新規設立)ではなくM&Aを選ぶ外国企業が増えている。主なメリットは以下のとおりである。

4.今後の課題と成長の契機
実務上、いくつかの点に十分な注意を払う必要がある。
1.都市部の高齢化
全国の中位年齢は34歳前後にとどまるものの、ハノイやホーチミン市といった大都市では、すでに人口高齢化の兆候が明確に表れており、他の東アジア諸国で先に見られたパターンをなぞっている。ベトナムの人口ボーナスには明確な期限があり、政策の重点は生産性主導の成長へと徐々に移りつつある。
2.中所得国の罠
これまでの成長は、輸出向け製造業を中心に、外資系企業に大きく依存してきた。現在でも、Vin GroupやFPT Groupのように象徴的なベトナム企業は存在する。しかし、ベトナムが高所得国へと脱皮するためには、より高付加価値な製品・サービスを担う国内の有力企業が一層台頭することが不可欠である。
3.インフラの不足
新たな高速道路、空港、再生可能エネルギー事業が稼働し始めているとはいえ、大都市における地下鉄建設の遅れ、慢性的な交通渋滞、港湾・電力能力のばらつきは、依然として競争力の重しとなっている。現政権の改革の勢いにより、このギャップは徐々に縮小していくと見込まれる。
4.労働コストの上昇
ベトナムの賃金は着実に上昇している。統計総局(GSO)によると、平均月収は年約8%のペースで増加し、2023年の約710万ドン(271米ドル)から2025年には830万ドン(317米ドル)となった。一人当たりGDPが5,000米ドルを超え、ベトナムはもはやASEANの生産拠点の中で最も低コストな選択肢ではない。そのため参入の狙いは、労働コストの安さの活用から、エンジニアリング、研究開発(R&D)、デジタルサービスといった高付加価値な活動へと移りつつある。
おわりに
上記の課題は現実のものであるが、政府は行政・土地・エネルギーの各分野で改革を継続し、積極的に対応を進めている。あわせて、教育、とりわけ英語教育への投資が高まっていることで、外国投資家にとっての言語の壁も徐々に低くなっている。これは、大都市の若い人材と協働する際に、特に当てはまる。
次回のレポートでは、ベトナムにおけるM&Aの実行に関する実務的な側面を、より深く掘り下げる。案件のタイムラインや、財務・税務・法務・オペレーションの各デューデリジェンスでよく見られる指摘事項などを取り上げる予定である。
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