雇用者による賃金支払の留保・控除に関する留意点
2026/04/22
- I-GLOCAL.CO.,LTD ホーチミン事務所
- Ho Thi Y Nhi
エグゼクティブサマリー
ベトナム労働法は、雇用者に対し賃金を「直接・全額・期限どおり」に支払う義務を課している。実務上、懲戒対応や退職精算の場面で賃金留保・控除が検討されることがあるが、その許容範囲は極めて限定的である。
主要ポイント
• 【留保】原則不可。例外的に不可抗力の場合のみ最長30日の支払遅延が認められるが、「不可抗力」の定義が不明確なため法的リスクが高い。
• 【控除】労働者の過失による軽微な損害賠償に限り認められる。控除上限は月次実支給賃金(社保・所得税控除後)の30%、かつ損害額は地域別最低賃金の10か月分以内。
• 【違法行為の制裁】違法な留保・控除には10万~1億VNDの行政罰、未払額+遅延利息の全額支払命令が科される。懲戒代替の金銭制裁は4,000万~8,000万VNDの罰金対象。
• 【実務リスク】法令違反は労働紛争・企業評価の毀損につながるため、留保・控除の前に許容範囲の正確な確認が不可欠。
はじめに
賃金支払は雇用者の基本的な義務の一つであると同時に、労働者の重要な権利である。実務上、雇用者は懲戒対応、労働契約終了時の精算などの場面において、賃金の支払を一定期間留保する、または一定額を差し引くといった対応を行った検討をすることがあるが、留保については原則認められておらず、控除についても条件を満たさない限り原則として実施できない対応となっている。本稿では、賃金支払の留保・控除における留意点を解説する。
1. 労働者に対する賃金支払の原則に関する法的規定
2019年労働法では、賃金は合意に従って雇用者が労働者に支払う金銭であり、職務または職位に応じた基本賃金、賃金手当およびその他の追加的な支給金を含むものとされている。これを踏まえ、雇用者は労働者へ賃金を直接、全額かつ期限どおりに支払う義務がある。この原則は、雇用者の基本的な法的義務を示すのみならず、実務上において賃金の留保または控除に関する行為の適法性を判断するための重要な基準となる。
2. 雇用者が賃金支払を留保または控除する場合
2.1 賃金支払を「留保」する場合
賃金の留保とは、本来支払うべき賃金の全部または一部を支払わずに、雇用者が保持する行為を指す。法令上明確な規定は設けられていないが、上述の労働法上の支払原則を踏まえると、原則は許容されない行為と整理される。一方で、賃金の支払遅延については、「不可抗力の事由により、雇用者があらゆる是正措置を講じたにもかかわらず、期限どおりに賃金を支払うことができない場合に限り、遅延(ただし30日を超えない)を例外的に認めるという規定がある。実務上は留保の根拠がないために、この支払遅延に関する例外規定を形式的な根拠として、実質的に賃金の留保を行おうとする対応が見受けられる。
もっとも、労働法令上は「不可抗力」に該当する具体的な事由については明確な定義が設けられていないため、どのような場合に留保が認められるのかについての判断は現状困難である。したがって、雇用者が賃金の支払遅延に関する規定を根拠として労働者の賃金を留保する対応を行う場合には、適法性について慎重に検討する必要があり、法的リスクの発生を回避する観点からも十分な注意が求められる。
2.2 賃金を「控除」する場合
賃金の控除とは、雇用者が労働者に対して賃金を支払う際にその一部を差し引く行為をいう。2019年労働法第102条では、労働者の過失による会社設備または財産の軽微な損害について賠償責任がある場合に限り賃金控除を認めており、損害額は地域別最低賃金の10か月分を超えてはならないとされている。またこの場合であっても、雇用者は控除の理由を労働者に対して明確に通知する必要があり、また各月に控除できる金額は、法令に基づき控除された社会保険料および個人所得税を差し引いた後の実支給賃金の30%が上限となっている。
例えば、ホーチミン市に勤務する労働者の当月の実支給賃金が30,000,000VNDである場合で考える(ホーチミン市における地域別最低賃金は2026年2月時点で月額5,310,000VNDである)。当該労働者が過失により会社支給のノートPCを破損し、損害額が12,000,000VNDと認定されたケースでは、当該損害は、会社の就業規則に基づき「軽微な損害」に該当すると判断されている。この場合、月次の控除上限は「社会保険料・個人所得税控除後の実支給賃金」の30%であるため、控除できるのは最大9,000,000VNDにとどまり残額3,000,000VNDは翌月以降に分割して控除する運用となる。
以上の通り法令上は一定の場合に限り認められるものの、雇用者に控除の濫用を防止し、労働者の正当な権利および利益を保護する観点から、その適用範囲は損害賠償に関連する限定的なケースであり、かつ控除額についても上限が設けられている。
3. 違法な賃金支払の留保・控除行為とそれに対する行政処分
実務上、賃金の留保・控除に関して法令に反する対応が見受けられる。例えば、労働契約の終了時に、労働者の引継ぎが完了していないことを理由として賃金支払を留保するケースや、労働規律違反があった場合に、懲戒処分手続に代えて賃金控除や減給といった方法で事実上の金銭的制裁を行うケースなどが挙げられる。
このように法令に反して対応を行った場合、雇用者には複数の法的リスクが生じ得る。まず、労働分野における行政処分として、行政罰の対象となる可能性があり、具体的な内容については以下の通りとなる。

また、賃金に関する違反行為は労働者の権利および利益に直接関わるため、労働紛争に発展するリスクがある。紛争が長期化した場合には、労使関係や職場環境に悪影響を及ぼすのみならず、雇用者の社会的信用や企業の評価を損なうおそれがあるため、慎重な対応が求められる。
おわりに
雇用者による賃金の留保・控除は、実務上検討されうる対応である一方、労働法上の許容範囲は極めて限定的である。法令上の根拠がない場合や範囲を超える場合には、行政罰や労働紛争などの法的リスクにつながる可能性がある。
したがって、規律違反への対応や退職精算に際してこれらを検討する場合には、許容範囲を正確に把握することが、法令遵守および安定した労使関係の維持のために不可欠である。
参考文献
・2019年労働法
・政令12/2022/ND-CP号

