ベトナム個人所得税概論
2026/08/10
- I-GLOCAL.CO.,LTD ホーチミン事務所
- 谷口 裕哉
エグゼクティブサマリー
① 改正の概要 — ベトナム個人所得税は2025〜2026年に大規模改正が行われ、新PIT法(法律第109/2025/QH15号)、控除引き上げ決議(第110/2025/UBTVQH15号)、施行政令(第253/2026/NĐ-CP号)、通達(第87/2026/TT-BTC号)により制度の骨格が刷新された。
② 主な変更点 — 累進税率は7段階から5段階に簡素化(最高35%は月1億VND超)、基礎控除は月1,550万VND・扶養控除は1人あたり月620万VNDへ引き上げられた。時間外・深夜労働手当や法定超過分を含む退職金が全額非課税となる。
③ 適用時期と経過措置 — 法令の効力発生は2026年7月1日だが、給与所得には2026年1月1日に遡及適用される。2026年1〜6月に旧規定で申告済みの分は修正申告不要で、2026年度の年次確定申告で精算すれば足りる。
④ キャピタルゲインと実務対応 — 非上場株式の譲渡は従来どおり譲渡額×0.1%に据え置かれた一方、非居住者による有限会社出資持分の譲渡は譲渡額×0.1%から譲渡益×20%へ変更。居住/非居住者の区分が撤廃され、区分に関わらず同率が課税される。
はじめに
ベトナムの個人所得税(PIT)は、ベトナムで就労する個人に対して課される税金であり、日本の所得税制とは大きく異なる特徴を持つ。特に外国人駐在員にとっては、課税所得の範囲や税率、申告納税のルールが複雑であり、適切な理解と対策が不可欠である。本稿では、ベトナム個人所得税の基本事項をまとめ、税務リスクまでを体系的に整理して解説する。なお、個人所得税については2025年から2026年にかけて大規模な法改正が行われ、制度の骨格が大きく見直された。今回の改正は、物価・生活費の継続的な上昇や前回改正(2020年)以降の経済環境の変化を踏まえ、税負担の適正化を通じて中間所得層の購買力向上による消費の下支えを狙ったものである。本稿は改正後の最新の制度内容を反映している。
【2025〜2026年 個人所得税関連の主要法令】
1. 個人所得税概要
1-1 居住者、非居住者の判定方法
税法上では、滞在期間にかかわらずベトナム出張で1日でも就労していれば納税義務が発生し、ベトナム居住者と非居住者で以下のように税額計算の方法、税率が異なる。
このとき、税務上の居住者とは以下のいずれかに該当する個人とされる。
・暦年(1/1~12/31)でベトナムに183日以上滞在している
・ベトナムに初入国した日から12ヵ月以内でベトナムに183日以上滞在している
・課税年度内で183日以上の賃貸契約を有している(ただし、ベトナム国外の税務局発行の居住者証明書を有する場合は非居住者判定)
よく誤解されるポイントとして、ビザや労働許可証の取得有無と居住者要件を混同される場合があるが、これらは判定要件とは関連がなく、あくまで上記3つに該当するかどうかで判定を行う。
以下にて、居住者判定のフローチャートを示す。留意点として、法令上の決まりはないものの、実務上レジデンスカードを保持している場合は賃貸契約があるものとして居住者判定されてしまうケースがある。そのため、レジデンスカードを持っている場合で183日未満の滞在となる場合は、海外の居住証明書を取得したほうがベターである(※)。
※ 具体的な取得方法については、下記国税庁サイトご参照
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/osirase/9210.htm
なお、政令253号第4条により滞在日数のカウント方法が明文化された。入国日・出国日はそれぞれ1日として計算し、同一日に入国・出国した場合は合わせて1日とする。到着日・出発日は出入国管理機関によるパスポート等への証明に基づき判定される。
1-2 Tax rates
ベトナムの居住者には5%から35%の累進課税が設定されている。税率そのものは日本と比較しても低いが、日本の最高税率55%(所得税45%、住民税10%)が課されるのは月給約350万円以上からとかなり限られており、加えてベトナム駐在員の多くは広範な課税所得により30%、35%が適用されるため、結果的に日本勤務時よりも税負担が大きくなるケースが多い。
低・中間層(月収1億VND未満)は税率の段階簡素化と控除額引き上げにより実質的な減税効果がある一方、日本人駐在員の多くが該当する高所得層は最高税率35%が維持されるため恩恵は限定的であり、駐在員コスト全体への影響は小さいとみられる。一方で、中間所得帯のベトナム人スタッフへの影響は相対的に大きく、給与水準の見直しや採用・定着に与える間接的な効果にも留意されたい。
また、ベトナムと外国で税率が異なることで生じる手取額の減額を回避する目的で個人所得税を会社負担とし、日本での手取額と同額になるように調整する場合が多い(ネット保障)。実務上、日本人駐在員の場合はほとんどがこの方法を採用しているが、課税されない福利厚生も含めると、駐在員一人当たりにかかるコストは、年間で日本勤務時の年収の2.5倍程の予算設定が必要になる。
1-3 申告納税方法
申告納税については以下のスケジュールで実施される。月次申告納税は、給与支払元となるベトナム法人が月次でVATを申告納税する場合(注)に適用され、そうでない場合および、外国法人からの支払分は四半期申告・納税となる。
(注)VATを月次で申告・納税する対象は、連続で満12ヵ月以上活動しており、かつ前年売上高が500億VND超の法人
1-4 課税対象所得、控除項目
課税対象となる給与所得は、各種手当や福利厚生、個人に対して支払われた会社負担の費用も原則として課税対象として考慮されるため広範囲に及ぶ。代表的なものには以下のような項目が挙げられる。
・住宅費
・健康診断、人間ドック費用(全従業員向けは非課税)
・赴任手当、引越手当(赴任時の本人分は非課税)
・休暇で帰国する際の航空券代(年1回本人分は非課税)
・ゴルフフィー、ゴルフ会員権代
・会計事務所への申告書作成料
・子供の学校に支払う費用で学費以外のもの
住宅費については、会社がアパートやホテルと直接契約し関連費用を支払う場合は「実際の会社負担の住宅費」と「住宅費を除く課税所得の15%」のいずれか小さい方が課税所得に加算される。以下に計算例を示す。
(例)給与が月額10,000USD, 家賃が月額2,000USD(会社負担)の場合
給与の15%= 1,500USD < 家賃 2,000USD となり、このときの課税所得は
10,000+1,500=11,500USDとなる。
また税務上、以下のものが所得控除の対象となっている。
1.強制加入の社会保険・健康保険・失業保険への従業員の拠出金
2.基礎控除:1,550万VND/月
・扶養控除:一人あたり620万VND/月
強制保険料には、日本で継続加入している社会保険も対象とされる。なお、政令253号により保険料控除の証憑要件が厳格化された。従来は保険組織発行の支払証憑の写しまたは支払者の源泉徴収・納付確認書のいずれかで足りたが、改正後は両方の提出が必要となる。
扶養控除について、法令上は配偶者も適用可能だが、定年を超える場合もしくはハンディキャップを持つ場合のみ適用対象となっており、実務上ベトナム駐在員で扶養控除を適用する場合は18歳未満の子供に適用するケースがほとんどである。なお、今回の改正で扶養者の要件も明確化された。「その他の扶養者」(兄弟姉妹・祖父母等)は納税者との同居・直接扶養が要件とされ、「労働能力がない者」は労働能力低下率81%以上と医療期間が発行する証明をもって定量的に定義された。
2026年6月30日に公布された政令第253号(2026年7月1日施行)により、非課税所得の範囲および控除項目が確定した。日系企業への影響が大きい変更点を、新旧対比で以下に整理する。
このほか、政令253号および関連法令では、ハイテク人材等への免税措置の拡充、不動産の譲渡・相続・贈与に係る免税規定の整理等が行われている。
制度切り替えに伴う経過措置も定めており、新税率・新控除額は2026年課税年度(1月1日)に遡及適用される一方、政令自体の施行は2026年7月1日であるため、2026年1〜6月は旧規定に基づく源泉徴収・申告が行われている。この期間に申告・納税済みの月次・四半期分について修正申告の再提出は不要であり、新旧規定による税額の過不足は2026年度の年次確定申告においてまとめて精算すれば足りる。
1-5 キャピタルゲイン課税に関するアップデート
おおよその骨格は旧法から変わらないが、草案で譲渡益ベースでの課税が検討されていた非上場株式の取り扱いについては、従来どおり「譲渡額×0.1%」に据え置かれた点がポイントである。非上場株式については旧通達と同様の取り扱いが維持されたため、非上場株式を保有する日系企業関係者(役員・出向者等)にとっては法改正による税負担増は生じないものと整理される。
一方で有限会社の出資持分については、非居住者の税額計算方法が譲渡額×0.1%から譲渡益×20%へと変更されており、取引の実際の利益率により税負担が増加する場合も減少する場合もある実質的な変更であるため、譲渡の実行前に具体的な試算を行うことを推奨する。
2.駐在員の個人所得税の留意点
2-1 キャピタルゲイン課税に関するアップデート
原則暦年(1/1~12/31)が課税年度となるが、赴任初年度が暦年で183日に満たない場合は、第1課税期間を入国日から連続12ヶ月間として、第2課税期間を暦年とする。
以下にて赴任初年度の申告パターン例を示す。赴任前の出張による初入国日を2025/2/1、任命日を2025/6/10(この例では実際の入国日と同様と仮定)とした場合の申告パターンは以下の通り。
申告開始タイミングは、実務上は任命状に記載された勤務開始日から起算するパターンが多い。初入国日の定義は法律上不明確ながら、正式赴任前に出張でベトナムを訪れている際はパスポートの入出国履歴に基づき、出張時の入国日から起算するよう要求される可能性がある。そのため、設立準備等のために正式赴任前に出張で来る場合は、保守的にその最初の出張時の入国日を初入国日とすることを推奨する(上記パターン①)。
2-2 税務調査での指摘リスク
税務調査における追徴課税については以下の通り。基本的に税務申告を行う都度指摘を受けることはなく、3~5年周期で実施される税務調査で指摘されるケースがほとんどである。外国人の給与額が高額であることから、最も狙われやすい項目の一つであるため留意されたい。
以下、税務調査で指摘されやすいリスクを総論として整理する。計算実務も複雑であるためミスが起きやすく、可能な限り経験のある実務担当者に対応させることをお勧めする。
(1) 経費や手当の税務リスク
・VATインボイス:VATインボイスが無い場合、もしくは不備がある場合は事業に関係が無く個人へのベネフィットとみなされるリスクが高い。過去には駐在員が立て替えた交際費・旅費について、インボイスに不備があると個人の所得として課税され、法人側でも損金として認められなかった事例も発生している。
・社内規定の明確化: 各種手当や各種福利厚生等は通常個人所得税の課税対象外であるが、財務規定や労働契約書に規定が無い場合個人へのベネフィットとみなされ課税対象とされてしまうリスクがある。
(2) 非居住者の課税リスク
・短期滞在者免税申請: 日越租税条約に基づく非居住者の免除申請は一定条件を満たせば可能とされている。数年前までは承認を得られるケースもあったが、直近では税務局の恒久的施設に関する見解が変わってきており、申請が却下される傾向にある。免税条件を満たしていると考えられる場合でも、追徴課税や延滞利息を避けるため、ベトナム源泉所得の申告納税による対応が推奨される。
・出張ベースの法的代表者: 法的代表者は他の駐在員と比較して厳しく見られる傾向がある。税務局の見解によっては、代表者はベトナムに来ていない場合でも給与が発生すべきとして指摘を受けるリスクがあるため、ベトナム源泉所得を設定することを推奨する。この時の設定金額は「全世界所得をベトナム滞在日数で按分した金額」よりも低い場合、妥当でないとみなされるリスクがあるため、金額の妥当性にも留意いただきたい。
おわりに
ベトナムの個人所得税は日本の税制と異なり、駐在員や出張者には慎重な対応が求められる。特に税務調査での金額のインパクトも大きいことから、リスクを把握したうえで正確な申告と納税を徹底する必要がある。なお、今回の税制改正では、税率区分・控除額・非課税範囲のいずれにも見直しが及んでいる。改正の多くが2026年課税年度に遡って適用されるため、給与計算の再点検と確定申告に向けた調整を計画的に進めていただきたい。
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