Table of contents.
  1. 01
  2. 02
  3. 03
  4. 04
  5. 05
  6. 06
  7. 07
  8. 08
  9. 09
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梶原社長 梶原社長
SECTION01
国内市場の縮小を見据えて海外進出

實原享之エースコックがベトナムに進出したのは、1993年ことのことですが、その背景にはどういった社会や業界の動きがあったのでしょうか。

梶原潤一 私はエースコックに入社して以来、40数年にわたってこの業界で働いてきました。
私が入社した1970年代半ばは高度経済成長期で、カップ麺という新しい食品が誕生して2年ほど経った頃でした。とにかくいろんなメーカーがカップ麺市場に参入し、つくればつくるだけ売れるような時代でした。ところが、1980年代後半にカップ麺の伸びが止まり、日本で初めて袋麺を含む即席麺の需要が前年を下回ってしまったのです。ちょうどその頃から日本では「シュリンク(縮小)」という言葉が頻繁に使われるようになりました。人口が減り、景気が後退するなかで、食品だけでなくいろんなものが売れにくくなっていったのです。

實原当時から人口減は社会課題として認識されていたんですね。

梶原 そうです。ただ、そうしたなかにあっても商品力が売り上げを伸ばすきっかけになったことはありました。たとえば、当社の場合は1988年に「スーパーカップ」を売り出したことで、日本のカップ麺全体が盛り上がり、ふたたび2ケタ成長になりました。
当時の袋麺の麺の量はおよそ90㌘程度でしたが、カップ麺は60~65㌘とこれよりも少なく業界内ではスナック麺と呼ばれていました。しかし、これでは食事としての満足感が足りないのではないかということで、内容量を袋麺と同等の90㌘程度に増やし、カップもスープも大きくして売り出したのです。結果、スーパーカップはおやつから主食という扱いに格上げされ、ロングセラーの大ヒット商品になりましたし、他社もこの動きに追随し、大盛りサイズのカップ麺を次々と世に送り出していきました。
ですが、長期的な視点でみると、人口減少による市場のシュリンクばかりはどうにもなりません。
そこで、社内においてもスーパーカップなどの新商品の開発と同時に、日本だけでなく海外にも目を向けるべきだという機運が盛り上がっていました。それは同業他社に関しても同じで、やはり同時期に海外進出を検討しているところが多かったように思います。

實原その後、どのようにしてベトナムとの縁ができたのですか。

梶原紆余曲折がありましたが、最終的に総合商社の丸紅にお声がけいただいたご縁で、1993年にベトナム進出をはたしました。ベトナムに関しては丸紅とともに進出し、当時、ベトナムの即席麺業界でナンバーワンのシェアを持っていた国営食品企業のビフォンとともに合弁会社(現在のエースコックベトナム)を立ち上げました(当時はエースコックと丸紅が合計60㌫、ビフォンが40㌫出資)。

實原 合弁会社の立ち上げにおいては、提携先との関係性がネックになることがしばしばあります。
そのあたりはどうでしたか。

梶原 ビフォンとの関係は良好で、とくに同社の社長はエースコックに絶大な信頼を寄せてくれていました。実際、私が1993年にベトナムを訪問した際、ビフォンの社長は「ベトナム製の即席麺には伸びしろがないが、エースコックなら伸びるはずだ」と話してくれました。ビフォンは当時からエースコックの即席麺が安全・安心で品質も高いというところを評価してくれていたのです。当時のベトナムではまだまだ安かろう悪かろうの即席麺が多かったので、私たちの商品力や技術に期待を寄せてくれていたのでしょう。

實原 ひと口に海外進出といっても、いくつかの選択肢があったかと思います。最終的にベトナムにした決め手はどういったところにあったのでしょうか。

梶原 ベトナムにはいろんな国を視察した帰りに立ち寄ったという感じだったのですが、私たちはそのときに貧しいけれど若さと活力に満ちたベトナムの姿を目の当たりにし、可能性を感じたのです。そして、それからしばらくして丸紅がビフォンとの提携話を持ち込んでくれたので、何か運命的なものを感じ、思い切って進出することにしました。

實原合弁にあたって商社と組むことにはどのようなメリットがありますか。

梶原 総合商社の丸紅は素晴らしいパートナーです。こちらで不足している情報や知識を的確に提供してくれました。とくに物流やシステムについては当社が苦手とするところだったので非常に助かりましたね。また、新規の原料を探したり、サプライヤーを探したりする際も、丸紅のネットワークには大いに助けられました。

エースコックホーチミン工場 エースコックホーチミン工場
SECTION02
カップ麺の設備を活用して
付加価値の
高い袋麺を製造

實原その後、エースコックベトナムは1995年からベトナムで即席麺の生産をはじめていますが、ベトナムではどのような商品づくりを目指したのでしょうか。

梶原もともとビフォンをはじめ、ベトナムの同業他社は中古の設備で、とくに確立したノウハウもないまま、海外メーカーの見よう見まねで商品をつくっていました。そのため、麺の食感はいまひとつでしたし、ともすればスープやかやくのなかに異物が混入していることもしばしばありました。ビフォンもそのあたりに問題があると感じていたので、基本的には私たちに製造のすべてを任せてくれました。 実際、土地はビフォンに用意してもらいましたが、工場設計や製造設備の導入、商品開発、そして工場のマネジメントに関してはすべてエースコックが行いました。

實原品質というところでは、衛生環境以外にどのような点で差別化をはかることができたのでしょうか。

梶原カップ麺用の設備で袋麺を生産したのが差別化につながりました。そもそも、袋麺は鍋で湯がくことを前提につくられているのですが、ベトナムでは袋麺を鍋で湯がくという食文化がなく、ほとんどの消費者が麺の硬さにムラがある状態で袋麺を食べていました。そこで、当社ではカップ麺用の設備を導入することで、どんぶりに入れてお湯をかけるだけで、おいしく食べられる商品に仕上げたのです。

SECTION03
サプライヤーを育成しながら高価格
商品を普及

實原画期的な差別化ですね。しかし、ベトナムで一から商品づくりをするには多くの困難があったかと思います。

梶原そうですね。そもそも当時のベトナムには優良なサプライヤーがほとんどおらず、当社が納得できるレベルの原料(小麦粉や油、かやくの材料など)を国内で調達することができませんでした。そこで、最初のうちは海外からの輸入原料に頼らざるをえず、どうしても原価が高くなり、商品の販売価格も一般的な袋麺が700~1200ドン(当時)だったのに対し、2000ドン(当時)と割高でした。その結果、一般の人からすると「エースコックの袋麺はおいしいし、品質はいいが、とても高い」という印象になってしまいましたし、同じくらいの価格で店でフォーが食べられるということもあり、なかなか売り上げが伸びませんでした。
ですが、実をいうとこうした流れは進出時のマーケティングプランにも織り込みずみでした。最初のうちは商品が割高になるから大規模な生産販売は期待できないが、5年かけてベトナム国内のサプライヤーを技術指導し、原料調達費を抑え、価格の見直しをはかろうと考えていたのです。 実際にそれからは当社の日本のサプライヤーにも協力してもらい、着実にベトナム国内のサプライヤーのレベルアップに努め、原料の調達先を国内に切り替えていきました。
そして、 5年の歳月を経て、満を持して販売しはじめたのが、いまや当社の看板商品となっている「Hao Hao(ハオハオ)」なのです。

實原ベトナム進出時からそういった戦略があったとは驚きです。ハオハオの当初の売れ行きはどうだったのでしょうか。

梶原出足から好調でした。エースコックの商品は高いけれど品質は良いということが認知されていたこともあり、品質を維持しながら1000ドン(当時)という価格帯で販売することができたハオハオにははやい段階から多くのファンがついてくれました。また、「ハオハオ」(「好き好き」という意味)という親しみやすいネーミングやベトナム人の嗜好にあわせた味も人気の原動力になりました。ちなみに、ハオハオは2000年から2018年までの18年間にベトナム国内で200億食も消費され、2018年にはベトナム版ギネスブックとして知られる『ベトナム・ブック・オブ・レコード』に登録されています。

SECTION04
「技術は日本、味はベトナム」という役割分担

實原ハオハオのヒットの要因にはベトナム人の嗜好にあわせた味があると思いますが、そのあたりはどうでしょうか。

梶原当時、ベトナムの即席麺で多かったのは鶏、豚、牛それぞれのダシをベースにしたものでした。そこで、ハオハオの開発にあたってはそのあたりと一線を画し、少し辛くて酸味のあるベトナム ならではの鍋の味をイメージすることにしたのです。

實原実際にベトナム人の口に合う商品をつくるのは大変そうですね。

梶原そうなんです。日本人にはそういったローカルの味はわかりません。そこで、 製麺や食品製造の技術やノウハウは日本から導入するけれど、味づくりに関してはローカルスタッフに任せることにしたのです。
しかも、ありがたいことにビフォンの社長が同社ナンバーワンのスープづくりのスタッフをエースコックベトナムに出してくれたので、さっそくそのスタッフに何人もの部下をつけて、スープの開発を進めてもらいました。そして、スープの味が固まった時点で日本の技術を活用し、スープの粉末化や液体化に取り組んでいきました。こうして誕生したハオハオは、まさにベトナムと日本のコラボによって誕生した商品なのです。

看板商品のハオハオ 看板商品のハオハオ
SECTION05
ビフォンとの合弁を解消した背景

實原実に素晴らしいコラボレーションですね。

梶原振り返ってみると、このマーケティングプランに一番賛同してくれていたのはビフォンの社長でした。「ベトナムにはない価値を提供すれば、絶対に売れるはずだ」といってくれていましたから。おかげで、私たちは白紙に絵を描くように、ノビノビとベトナムビジネスに取り組むことができたのです。それに対して、同時期に進出していた中国では提携相手の国営企業が何も任せてくれず、数年で撤退を余儀なくされてしまいました。やはり合弁会社を立ち上げる際には相手とどのような信頼関係を構築できるかが重要になってくると思います。

實原エースコックベトナムは2004年にビフォンの持ち株をすべて買い取っていますが、そこにはどのような背景があったのでしょうか。

梶原その時期はちょうどベトナム政府が国営企業の民営化を進めていた時期で、私の耳にもビフォンが民営化される可能性があるという話が入ってきました。そこで、民営化によってビフォンがよくわからない企業や経営者に買い取られてしまうのであれば、リスクヘッジのためにも先んじてビフォンの持ち分をすべて買い取ろうということになったのです。

SECTION06
ベトナムを生産拠点とハブにした
海外展開

實原エースコックベトナムではベトナム国内だけでなく、東南アジア諸国やアメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、アフリカなど、世界40カ国に即席麺を輸出していますね。こうした海外向けの生産と輸出はいつ頃からはじめたのですか。

梶原1990年代後半から手掛けていましたが、当時はベトナムの味を届けるというのが主流でした。ベトナム人は世界中いたるところで暮らしているので、彼らにベトナムの味を届ければシンプルに売れるだろうと考えたのです。ただ、ハオハオの成功以来、ローカライズして地域に根差すことの重要性と可能性を感じ、ベトナムの味だけでなく、各地にローカライズした商品を開発し、送り出すように心がけています。

實原エースコックベトナムが海外展開における生産拠点とハブのような役割を担っているのですね。

梶原まさにそのとおりです。そして、これからますますその役割は大きくなってくるはずです。現にベトナム以外の海外の即席麺の売り上げは着実に伸びており、あらたな市場が次々と開拓されています。

實原具体的にはどのような市場がありますか。

梶原たとえば、 これまで海外輸出でよく売れているのはカンボジアやラオスといった近隣諸国 でしたが、最近はチェコやドイツなどの売り上げも順調に伸びてきています。また、今後の可能性が高いとにらんでいるのがアフリカです。 アフリカに関してはインドネシアのメーカーなどが積極的に即席麺の輸出に乗り出していますが、まだまだ伸びしろがあると思うので、当社も今後、さらに力を入れていきたいと考えています。

SECTION07
ベトナム各地で地産地消体制に

實原エースコックベトナムは現在、ベトナム国内にどれくらいの拠点を持っているのですか。

梶原現在は南部のホーチミン市に2工場、ビンズン省に2工場、北部のフンイエン省に2工場とバクニン省に2工場、中部のダナン市に1工場、メコンデルタ地域のビンロン省に2工場を有しています。従業員数は5500人ほどで、外部の専属営業マンを加えると7000人くらいになります。いまやハオハオはベトナム人ならば誰もが知っているほどの存在なので、ベトナムの皆さんの食と健康を守るという気持ちを社員全員で共有できるように努めています。

實原今でこそ全国各地に工場を持っていますが、以前はホーチミン市にしか工場がなかったわけですから、商品を運ぶだけでも莫大なコストがかかりそうですね。

梶原即席麺は単価が安いのにかさばるため、余計な物流費をかけていては商売になりません。昔はご指摘のとおりホーチミン市にしか製造拠点がなく、ハノイ市まで運んでいたわけですが、どうしても物流費がかさんでしまうため、同じ商品でもハノイ市での販売分は価格を高く設定していました。そして、それは当社だけの話ではなく、ほとんどのメーカーがそうだったのです。商品価格を統一できるようになったのは、2001年にハノイ市の近郊に工場を立ち上げてからのことです。

SECTION08
まずブランディング、そして販路開拓

實原今も多くの製造業がベトナムにおける販路の開拓や物流に苦労していますが、そのあたりの問題はどのようにして乗り越えていったのですか。

梶原まずはブランディングに注力しました。実際にベトナムに来て気づいたことですが、ベトナムの商品名は「ビフォンの鶏味ラーメン」といったネーミングばかりで、ブランド名がないわけです。ですから、エースコックという社名はもちろん、ハオハオという商品名を前面に押し出すことで、卸や小売にほかの商品とは違うということを印象づけていきました。

實原なるほど、それが効果的に働いたのですね。販路の開拓について具体的に取り組んだことはありますか。

梶原当時のメーカーの多くはつくれば売れるという感覚を持っていて、みずから商品を売り込んだり、営業したりといったことをほとんどしていませんでした。大企業の多くが国営企業だったため、無理もないことでしたが、そこに当社としては商機を見出し、専属の営業マンを新たに採用して教育し、卸や小売へのルートセールスをスタートさせたのです。また、ベトナムのほとんどのメーカーは工場まで商品を取りに来てもらうというやり方をとっていましたが、私たちは卸や小売にしっかりと配達していきました。このときからコツコツと積み上げてきたネットワークが、現在の流通の基盤となっているのです。

實原近年は小売のシェアが急激にTT(トラディショナルトレード:いわゆるパパママショップ)からMT(モダントレード:スーパーマーケットやコンビニなど)にシフトしてきているように思いますが、その変化についてはどのようにみていますか。

梶原おっしゃるとおり、とくにこの数年は大きく変化していますね。日本でもそうでしたが、やはりこれからますますTTの比率が下がっていくのではないでしょうか。そうなってくると、メーカーからすると販路を開拓しやすくなるように思います。今までは当社のようにローラー営業で地道かつ広範囲な営業を展開しなければなりませんでしたが、これからはMTの本部と交渉することで、一気に販路を拡大することができるようになります。

實原そうなると、効率的な営業ができそうですね。

梶原イオンモールやロッテマートといった大規模な店舗だけでなく、スーパーマーケットを展開するローカルMTも増えてきているので、そういったところに食い込んでいくのもいいでしょう。たとえば、ビングループからマサンが買収したビンマートはもちろん、最近では携帯電話販売最大手のテーゾイジードンが展開しているバック・ホア・サインという小型スーパーもすさまじい勢いで出店しています。ローカル企業なので、最初の交渉には苦労するかもしれませんが、差別化をはかることができる商品であれば全店展開とはいかずとも、ある程度、流通に乗せてもらえる可能性はあるはずです。

対談風景 看板商品のハオハオ
SECTION09
選択と集中が成長の秘訣

實原御社はベトナムの即席麺業界において圧倒的なリーダーシップカンパニーでありながらも、毎年確実に成長を遂げています。その秘訣はどういったところにあるのでしょうか。

梶原当然ながら厳しい時期もありましたが、選択と集中を決断できたのがひとつの転機になったと思っています。実際、私は2010年の春からエースコックベトナムの社長になりましたが、当時は即席麺の商品数が400以上もあり、生産効率や営業効率が落ちていました。そこで、ABC分析を通して商品数を200以下にしました。
それと同時に東日本大震災の教訓から、リスクヘッジのためにサプライヤーとの契約の見直しにも踏み切りました。従来は原料ごとにひとつのサプライヤーとだけ取引していましたが、2014年からは現状から発注数は減らさないという条件のもと、複数社との取引に切り替えさせてもらいました。
また当時は即席麺の製造だけでなく、レトルト食品や粉末スープの製造、食用油の販売など幅広い事業を展開していたので、それらの事業をやめ、本業である即席麺の製造に集中することにしました。

SECTION10
ベトナムの経済成長に合わせた
商品戦略

實原近年は商品に関してさらに質を重視されているそうですね。

梶原日本と同様、徐々にベトナムでも健康志向が強まってきていますし、袋麺ではなく、カップ麺の需要が伸びつつあります。そこで、当社は2012年にノンフライ麺を発売したほか、2016年にはカップ麺の「Handy Hao Hao(ハンディハオハオ)」なども発売しています。まだまだ袋麺の需要はありますが、中間層の拡大によって消費市場はかなり大きく変わりつつあります。時流を読みながら商品のラインアップにはつねに気を配っていきたいと思います。

SECTION11
複雑なベトナムの物流を改革

實原2010年頃からは物流に関する改善にも力を注がれているそうですが、そのあたりについても教えてください。

梶原ベトナムでの物流は効率が悪く混沌としていたので、物流改革に取り組みました。丸紅から物流のスペシャリストに出向してもらったり、富士通に協力してもらったりしながら、工場と小売店、さらには工場とサプライヤーをネットワークで一括管理するシステムを構築しました。まだまだブラッシュアップしていく予定ですが、近いうちにエースコックベトナムの物流を担うだけでなく、ベトナムの物流業界に大きく寄与できるシステムに仕上げ、サービスとして売り出していきたいと考えています。

SECTION12
日本とベトナムの経営の違い

實原日本での経営とベトナムでの経営について、どのようなところに違いを感じますか。

梶原ベトナムが特殊と考えるよりも、日本が特殊だと思ったほうがいいですね。

實原たとえば、どういったところでしょうか。

梶原ベトナムでは社員が辞めるのは当たり前ですし、入社時にはそのつど、職務分掌をつくって労働契約を結びます。日本だと契約以外の業務でも手伝うのが当たり前という〝空気〟がありますが、ベトナムにはそのようなものはありませんし、契約以外の業務は手伝いません。でも、これは欧米でも当たり前のことなので、これからグローバル展開を進めていくのであれば、むしろ日本の感覚に違和感を持ったほうがいいでしょう。しかも、今後は徐々に日本とベトナムの経済格差がなくなっていきます。上から目線で自分たちのやり方を一方的に押し付けるのではなく、これからは対等の立場でお互いをリスペクトしていかなければなりません。そして、そのうえで私たちは日本式でも、ベトナム式でもない、エースコックベトナム式の経営をつくりあげていきたいと考えています。

SECTION13
新社屋から即席麺の文化を発信する

實原2018年にホーチミン市のタンビン工業団地内に地下1階・地上6階建ての本社ビル(現在の本社兼工場)を竣工されましたね。ベトナムに進出した日系のメーカーが、工場以外でこうした自社ビルをつくるケースはきわめてめずらしいと思います。

梶原たしかに、めずらしいかもしれませんね。

實原どういったきっかけだったのでしょうか。

梶原ベトナムにおいても2011年から2014年にかけて即席麺の需要が下がった時期がありました。その原因は同業他社が流した健康被害に関する根も葉もないデマだったのですが、それゆえに即席麺業界全体の売り上げが落ちてしまったのです。日本の場合は業界団体などがPRや啓発活動などで業界全体を盛り上げていきますが、残念ながら今のベトナムにはそういう組織がなく、ともすれば先ほどのデマのように足の引っ張り合いがはじまってしまいます。そこで、即席麺やエースコックベトナムの情報を正しく発信できる場として、今まで以上に情報発信機能を充実させた自社ビルを新設することにしたのです。おかげさまで、スタッフの家族はもちろん、学生や主婦、医師や栄養士など、年間1万人以上の方々が本社ならびに工場の見学に来てくださっています。

本社工場の風景 本社工場の風景
SECTION14
可能性に満ちた国ベトナムに
かけていきたい

實原これから5年、10年後のベトナムにはどのような変化、あるいは商機があるとみていますか。

梶原少し先の話になるかもしれませんが、規制緩和ではなく規制強化による商機が見出せるかもしれません。

實原実に興味深いお話です。

梶原たとえば、今のベトナムでは屋台や路上店舗が当たり前のように営業できていますが、今後は衛生面などの観点からそういった店舗の許認可が厳しくなっていくと思われます。食品に関して安全・安心や健康へのニーズが高まってくると、ますます当社の商品は強みを発揮できるようになるはずです。

實原今後の目標についてお聞かせください。

梶原当社の本業である即席麺の製造販売を引きつづき伸ばしていきたいと思います。国内市場をより深堀し、また、ベトナムからの輸出をさらに拡大していきたいですね。ベトナムは可能性に満ちた素晴らしい国です。これからもベトナムで暮らす人々の幸せや健康に貢献するために、エースコックベトナム式の経営を模索しつづけていきます。